34年前と変わっていないようで変わっていたもの。えりも黄金道路

色々な事

 「34年前と変わっていなかったもの」を直前の記事で書きましたが、写真の整理をしていたところ「変わっていないようで変わっていたもの」があったことに気づいたので紹介します。

 えりも黄金道路。襟裳岬から海岸線を少し北上したところ、えりも町庶野から始まり広尾町音調津まで海沿いに続く30kmほどの区間の通称。日高山脈が海岸までせまり、交通の難所となっていた場所で、落石や雪崩から道路を守るため覆道を整備したのだが、その建設のために黄金を敷き詰められるほどの莫大な費用を要したことが名称の由来だそう。(舗装するだけでも通常工事の10倍ほどかかったそうです。)

 34年前、この話を聞いて興味津々の気持ちで現地へ向かい、数多くの覆道を通過する中で、海岸線の景色や海からの風を楽しみつつ、過酷な自然に立ち向かう人間の英知を感慨深く感じながらバイクで走ったことを思い出す。

 今回の旅でもこの道を走る。あえてそうしたわけではないが前回と同じく襟裳岬から北へ走るルートを選択。
「黄金道路」の記念碑?がある撮影スポットで写真撮影したのだが、写真を整理する内に34年前にも同じ場所で写真を撮っていたことに気づいた。

 それがこの2枚の写真。

平成元年6月

 「黄金道路」の石板は一段高くなっている場所にある。昭和60年にこの石板があったかどうかは記憶にない。(写真に納めていないということは、無かったということだろう。)34年前はなかった電柱が立ち並んでいる。

昭和60年6月
駐車場の海側にあるコンクリート製の柵は当時のものかも?

比較のため、場所は違いますが写真を2枚追加。

昭和60年 
令和元年(覆道は通行できなかった。)

電柱が立ち並んでいることを除けば、風景そのものは34年前と変わっていないように見える。

 ところが、実際に走ってみると大きく違った。覆道に擁護された海岸線に続く道は維持管理が厳しいのだろうか、また時間を短縮するという実用面もあるのだろうか、いくつもの長大なトンネルに置き換わり海岸線の風景が見えないまま北上を続ける。覆道がある区間もある程度残っていたので、当時の記憶がよみがえる場面もあったが、全体的な印象は大きく違った。

 

 当時、バイクで走った時の印象は、海を見ながら日本海からの冷たい風に吹かれ曲がりくねった道を走ることに大きな魅力があった黄金道路。
 今回は、トンネルが増えたためそのような印象は無いまま北上を続け、いつの間にか黄金道路を通過した感じ。34年前の印象とは全く違ったものでした。
 多くのトンネルは2000年を迎えてから開通しているよう。一番長いトンネルは「えりも黄金トンネル(4,941m)」で、北海道では最長。他にも2キロほどのトンネルが三つ、3キロ超が一つあり、行程の約半分がトンネルになっていた。
おそらくは残っている覆道の区間も、日本海の荒波に浸食され維持管理に多くの費用がかかるという理由でトンネルに置き換わっていくのだろう。(実際に工事中のトンネルがいくつかあったように思う。)
 昭和の時代に、覆道を整備するという形で「黄金道路」と呼ばれたこの道。
平成と令和に至って、さらにトンネルに置き換えるという一大工事の追加を行っている。もしかしたら、工事が完了した後は、「プラチナトンネル道路」とかに呼び名が変わるかも?

追記
 観光客の視点では、海岸線を走る覆道で整備された道路は大きな魅力があったのだが、地元道民の方々にとっては当然トンネルの開通でもたらされる利益は絶大なものがあるはず。残念な思いはありますが、これも仕方がないこと。

 34年前にバイクで走った海岸線に続く覆道を通る「黄金道路」。今後、日本遺産・世界遺産に認定される日が来ることを祈ります。

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